4月に入りだいぶ暖かい日が増え春めいてまいりました。
運動不足解消のため2月からジムに通い始めたのですが、その道中に桜並木があり満開になるのを寒い時期からずっと楽しみにしていました。
満開の頃に雨が続いたので、早めに散ってしまって少々残念でした。
親鸞聖人の詠まれた言葉で、「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の詩は無常観やもののあはれを表すものとして有名かと思います。
少し話は逸れますが、桜の品種の一つソメイヨシノのおよその寿命が60年程度とラジオで聞いたことがありました。
聖人は桜の花びらそのものを人の命の儚さ尊さとして譬えていましたが、桜の木自体もまるで人そのもの見たいだなと思いもしました。
100年前後の中で花咲くように上手くいくこともあれば冬の寒々しさのようにしっくりこない日もそれぞれの姿はまるで人みたいです。
病で傷んだ部分を処理しても新たに枝が生えなおすこともありません。
重恩寺にも以前桜の木がありました。最後は枝も少なくなっていましたが、やはり春には少しでも綺麗な花を咲かせていました。
良い日も悪い日もそれぞれありのままで居られればいいのですが、それでもやはりどこかでずっと春だったらなあと思ってしまうそんな毎日です。