極楽は十万億土

お陰様で去る25日に永代経法要をお勤めすることが出来ました。

ご参拝をいただいた皆さま、お手伝いをいただいた役員の皆さま、誠にありがとうございました。

新型コロナウイルスのため、縮小してのお勤めが続いておりましたが、本年は群馬組内の多くのご住職さまにご参集いただきコロナ以前の形となりました。

お勤めは、継職法要以来初めてとなる太鼓を用いての阿弥陀経読経で、大変美しい響きとなりました。

「仏説阿弥陀経」というお経には、極楽浄土は私たちの世界から「十万億仏土」離れた世界にあると説かれています。これは、無数の仏さまの世界を越えた遥か彼方に極楽浄土が存在するということを意味しています。

この極楽浄土について、一休さんと本願寺8代目宗主の蓮如上人との間に興味深い逸話があります。

ある時、一休さんが蓮如上人に次の歌を送られます。

・極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ

一休さんは、極楽浄土が遠い世界にあるとすれば、足腰の立たない人には行けませんね。阿弥陀さまとは何とも冷たい仏さまですねと皮肉を込めて詠まれます。

これに対し、蓮如上人は次の歌を返されます。

・極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声

蓮如上人は、極楽浄土は遠い世界にあるとありますが、実は「南無阿弥陀仏」という近道があるんですよと詠まれます。

 

お経に説かれる極楽浄土の遠さは、単に物理的な距離が遠いと言う意味ではありません。私たちは、仏さまのような智慧がないので、私たちの力では極楽浄土へ行くことは不可能な遠い存在であることを意味しているのです。

だからこそ「仏説観無量寿経」では「阿弥陀ここを去ること遠からず」と説かれるように、阿弥陀さまは遠くでじっと私たちのことをご覧になられているのではありません。阿弥陀さまは自ら立ち上がり、南無阿弥陀仏のみ声となって、この命に到り届いてくださいます。「あなたと共にお浄土への人生を歩んでいますよ」との南無阿弥陀仏のよび声にまかすとき、お浄土は遥か彼方にあるのではなく、今、ここに開かれている世界なのです。