お聴聞

桜に続き、ハナミズキやツツジ、藤と次々と花開く美しい季節になりました。

26〜29日において、築地本願寺にて親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年のご法要がお勤めされます。当山では27日に、お申し込みをいただいた皆さまと団体参拝をしてまいります。50年に一度しかないご法要に、ご門徒の皆さまとお参りできるご縁は大変ありがたいことです。

この度の慶讃法要でも、お勤めとご法話がございます。

当山においても永代経や報恩講など法要の際は、ご法話をいただいておりますが、裏方の私はなかなかゆっくり聴聞することが叶わず、27日は本当に楽しみにしております。

真宗においては「お聴聞」が大変大切なもののひとつとなります。

少し長くなりますが、仏教婦人会連盟冊子「めぐみ」より、お話を一部抜粋いたします。

 

「お聴聞」について・仏教婦人会総連盟講師 三宮亨信(めぐみ春号vol265)

 阿弥陀さまのお心をきかせていただくことを「お聴聞」と申します。

〜略〜

 親鸞聖人はこの「聴聞」というお言葉に「許されてきく・信じてきく」というご解釈をされています。つまり阿弥陀さまのお心を「この私のためと素直に聞き入れる」ということでしょう。

〜略〜

 浄土真宗はお聴聞をして阿弥陀さまのお救いをいただくのではありません。阿弥陀さまの確かなお救いが、もうすでに私たち一人一人に届けられてあった、ということを聞かせていただくのであります。

蓮如上人のお示しに

「ただ仏法は聴聞にきはまる」「仏法には世間のひまをかきてきくべし」「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ」というお言葉があります。

 お聴聞はひまがあるから聞くのではなく、ひまを見つけて聞きなさい、ひまを作り出して聞きなさい。と、今聞くことの大切さを教えてくださっています。

「お聴聞」はいつでも聞けると思っている元気な時に、出来るだけ時間を作ってお寺にお参りをさせていただいて<許されて聞かせていただいている>というありがたさと喜びを味わいつつ、ご一緒にお育てにあずかってまいりたいと思います。