ご縁を慶び お念仏とともに

今年の暮れもいよいよ押し詰まりました。

本年も、ご門徒の皆さまには、寺の護持発展にご理解とご協力を賜り、誠に有難うございました。

くれぐれもご自愛くださり、おすこやかな年をお迎えください。

 

来年は、いよいよ「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要=親鸞聖人がこの世にお生まれになり、浄土真宗のみ教えをお開きになったことを慶び、お讃えする法要」をお迎えする年となります。「ご縁を慶び お念仏とともに」ある一年となりますよう念じ上げ上げます。

元旦には朝参り(3年ぶりの通常の元旦会となります)を午前6時より勤行いたします。

お寒い中ではございますが、ご参拝いただければ幸いに存じます。

 

 仏教婦人会総連盟冊子の「めぐみ(秋号)」に『浄土真宗は「願いを聞く」宗教です』と題し、次のようなお話がありました。

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 先日、あるご門徒さんから次のようなご質問をいただきました。

 私は、毎朝お仏壇にお参りをして阿弥陀さまに朝のご挨拶をします。そして、家族の無事や健康を願います。そのことをお友達に話をしました。そうしたらお友達から、

「阿弥陀さまにお願い事をしてはダメよ。浄土真宗は阿弥陀さまの願いを聞いていく宗教なんだから」と、言われました。今まで私は、阿弥陀さまも他の仏さまと同じように、私たちの願いを聞いてくださるものだと思っていました。阿弥陀さまにお願いをしてはダメなのですか?浄土真宗は阿弥陀さまの願いを聞いていく宗教って、どういう意味ですか?という内容でした。

 この「阿弥陀さまにお願いをしてはいけないのでしょうか?」というご質問は、゛私にとって、阿弥陀さまはどのような仏(如来)さまなのか゛という問題であるように思います。私は、阿弥陀さまは「私の欲望をかなえてくださる仏(如来)さま」とは思っていません。だからといって、「阿弥陀さまにお願い事をするとはけしからん」と私を見捨てる仏(如来)さまでもありません。

 阿弥陀さまは、私を深くご心配くださり、私に本当の安らぎをあたえようと願い、はたらき続けてくださっている仏(如来)さまなのです。この願いのはたらきは、私のその時その時の心持ちで左右されるものではありません。阿弥陀さまのおはたらきは、私の思いを完全に超え、そのままの私をいつもあたたかく包んでいてくださるのです。ですから、阿弥陀さまには、私のどんな思いも聞いていただくことができる、何でもご相談できる仏(如来)さまなのです。阿弥陀さまは私の思いのすべてをしっかり受け止めてくださる仏(如来)さまでした。ですから、阿弥陀さまに私の欲望をかなえてもらうために、祈ったり頼んだりするのではありませんでした。私の欲望をかなえてくださる仏(如来)さまであると考えてはならない、ということであろうと思います。

 私たちがそれぞれの人生を生きていくなかで「私が本当に願わなければならないのは何なのか」を教えてくださるのが親鸞聖人のお念仏のみ教えでありました。

 浄土真宗は「阿弥陀さまの願いを素直に聞き受け、その願いに生かされていく」宗教でした。

(仏教婦人会総連盟講師 三宮亨信 師)

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