お陰さま

今年もコロナと共にあった年のため、法要行事、或は盆彼岸のお参りの際には、皆様に感染予防のご協力を賜りました。有難うございました。

お陰様にて年の瀬を迎えることが出来ました。

 

木があればその下に陰が出来、この陰があることで雨や暑さがしのぐことが出来るので「お陰様で雨がしのげました。」など、「お陰様」は感謝の気持ちに用いられます。

お陰様という言葉は非常に英訳することが難しいそうです。なぜなら、そこには目に見えない神仏のおかげという意味も含まれているからです。

 

浄土真宗では、ご門徒の皆さまも「おかげで○○させて頂きました」と話しているのを耳にすることがよくあります。

 

司馬遼太郎さんの「街道を行く」には次のように書かれています。

 

この語法(「させて頂きます」という語法)は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来(他力)によって生かしていただいている。三度の食事も阿弥陀如来のお蔭でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜には九時に寝かせていただく。この語法は絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お蔭」が成立し、「お蔭」という観念があればこそ「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました。」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。(司馬遼太郎「街道をゆく24」)

 

お陰様の一年を終え、お陰様で新しい年を迎えさせていただきます。

どうぞ来年も宜しくお願い致します。

 

ご案内の通り、元旦会は朝6時よりお勤めを致します。

寒波襲来予報もありますが、感染予防のため、本堂は戸を開けてのお勤めとなります。

お参りの際は、どうぞ防寒をしっかりなさってください。