師走に入り、皆さまにお配りする来年のカレンダーの詰め作業を進めています。
これは例年の作業ですが、今年一年を振り返ると新型コロナウイルス禍により、本来であれば、東京オリンピック・パラリンピックが開催される輝かしい一年だったはずが、初の緊急自粛宣言による不要不急の外出自粛、休業要請、三密を避けた新しい生活様式を経験することとなりました。
寺も前例のない事態に、さまざまな行事の休止の判断をせざる得ない大変心苦しく厳しい一年でした。ここに来て、新型コロナウイルスの第3波で感染者の増加、医療ひっ迫が毎日のニュースとなっています。くれぐれもお気を付けてお過ごしいただき、お健やかに新年をお迎えくださいますよう念じ上げます。
新型コロナウイルスや東日本大震災など前例のないものに対して大きな不安を抱いたように、ひとりひとりにおいて経験したことのないものに「死」があり、やはり「死」に対しても、私たちは、それが眼前に迫った時には大きな不安を抱くことでしょう。
稲城選恵師(1917-2014)は「生死出づべき道」において、次のように仰られています。
『人間の今生きているということは、あたかも一枚の紙の表だけを見ているようなものです。その裏には「死」ということが密着しており、「生」の外に「死」はなく、「死」の外に「生」はあり得ません。人間の「生」はあたかも風前の灯火の如く、いかに科学が進歩しても次の瞬間に保証されていない存在であります。
ほんとうの宗教とは、この人間であることの存在に問いを持つことからはじまります。一人この世に出て、ただ一人去っていく。この真実を知れば、今ここの私の問題となり、じっとはしていられません。
この問題の正しい答えを明らかにしたのが「生死出づべき道」といわれる仏教であります。親鸞聖人が示された浄土真宗のお念仏のみ教えは、とかく誰もが嫌う死の問題に対して、正しく超えてゆく道そのものであるのです。』
究極の拠り所であり、最後の最後までこの私から離れない阿弥陀さまがいらっしゃってくださることを忘れず心強く日々を送りたいことです。