既にご案内をさせて頂きましたが、早いもので来週は秋季彼岸を迎えます。
暑さも残り、コロナ、ゲリラ豪雨(或は台風)となにかと不安定な日々の中ですが、何卒お気を付けけになり、お彼岸をお迎えください。
さて、以前にもご紹介した本山「新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター」の最新版から、お彼岸に因んだものを一つ記述しておきます。
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「 ‘施されたら施し返す 恩返しです‘
でも
返しても返しきれない ご恩がある
お彼岸は そのご恩に感謝する 大切な ご縁です 」
テレビドラマのセリフがきっかけとなって、いま「恩」という言葉が注目されています。「温情」という語に表されるように「恩」とは、恵みや情けのことで、他の人から恵みや情けを受けることをいいますが、仏教では、より深い意味があります。
漢字の「恩」は「因」と「心」からなります。因を尋ねる心です。私たちが今こうあるのは、突然の出来事ではなく、さまざまな原因が重なり合い、あらゆるものに支えられて、生きている結果です。このことを心に深く考えることを「恩」といいます。
私という存在は一人で生きていくことはできません。一滴の水も、一吸いの空気も、すべてはいただきものです。いのちもそうです。決して自分だけでつくったものではありません。そのような、私を支える大いなる恵みに「心」をかけ、感動している姿を、「恩」という一字のなかに味わうことができます。
連綿とつらなるいのちの関係性に思いを馳せ、大きな恵みや支えに対して「有り難いこと」、「お蔭さま」と受けとめていく時、私たちは決して返しきることのできない、深い「ご恩」の世界に気づかせていただくのです。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし(親鸞聖人「恩徳讃」)
親鸞聖人は、仏さまの「ご恩」、そしてみ教えをお伝えくださった多くの方の「ご恩」を讃えられるとともに、その「ご恩」に応えていく生き方をすすめられました。
この度のお彼岸は、コロナ禍の中で、不安を感じながら迎えることとなりましたが、それぞれの場で、仏さまの大きな「ご恩」を聞かせていただき、いのちのつながりを知るご縁といたしましょう。