新型コロナウイルス感染症に関する「念仏者」としての声明

5月5日端午の節句。立夏の好季節ですが、今年は緊急事態宣言による自粛が続いております。

今月の朝参りも先月に続き寺族だけでお勤めをいたしました。3密を避けるための苦渋の判断でございましたが、大雪に見舞われても足を運ばれるご門徒の皆さま方のお気持ちを考えると大変心苦しく、また、皆さまがおられない朝参りは何とも寂しいことでした。皆さまと声を合わせ高らかにお念仏申すことの素晴らしさをあらためて感じた次第です。既に封書にて、お知らせを致しましたが、永代経法要も本年は中止となります。重ねて深くお詫び申し上げます。くれぐれもお気を付けてお過ごし下さい。

 

以下は、本願寺新報に掲載された浄土真宗本願寺派総長 岩上智康師の声明です。長文になりますが是非お目をお通しください。

 

◯新型コロナウイルス感染症に関する「念仏者」としての声明◯

 現在、新型コロナウイルス感染症は世界中に拡がり、収束する気配を見せていません。日本でも緊急事態宣言が発令されるなど、状況は新たな段階に入っています。

 まず、このたびの新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた国内外の多くの方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。さらに特に高い感染リスクにさらされながらも、懸命に治療・対策にあたられている医師、看護師をはじめとする医療従事者の方々に深く敬意と感謝を表します。

 こうした危機的な状況において、世界中の人びとが共に力を合わせ、励まし合って対応しています。しかし、症状が出ないために感染に気づいていない人の行動が、感染拡大の一因になっている場合もあるのではないかとも指摘されています。感染症の危険性や対処法を正しく理解し、実行するとともに差別や偏見が拡がらないよう、一人ひとりがお互いを思いやり、注意深く行動していきたいと願っております。

 釈尊が明らかにされた苦しみの根源である無明煩悩、また親鸞聖人が「煩悩具足の凡夫」という言葉でお示しになった私たち人間の根本に潜む自己中心性に思いをいたし、このような時にこそ、人と喜びや悲しみを分かち合う生き方が大切ではないでしょうか。仏教には「あらゆるものは因縁によりつながり合って存在しており、固定した実体はない」という「縁起」の思想があります。新型コロナウイルスの感染拡大の原因は人との接触であるとされ、本来大切は人との「つながり」が、今は安心感ではなく、不安をもたらすものとなってしまっています。しかし「つながり」を表面的に捉え、危険なものと否定的に考えてはなりません。世界的な感染大流行という危機に直面する今だからこそ、私たちは仏教が説く「つながり」の本来的な意味とその大切さに気づいていく必要があります。

 今重要なことは、仏智に教え導かれ、仏さまの大きな慈悲のはたらきの中、共に協力し合って生きる大切さをあらためて認識し、感染拡大をくい止めることです。緊急事態宣言がコロナ危機を克服してくれるのではありません。この困難を打開できるか否かは、多くの関係者のご尽力とともに、私たち一人ひとりの徹底した適切な行動にかかっています。

 私という存在は、世界の人びととの「つながり」の中で生きているからこそ、やがて、共にこの苦難を乗り越えた時、世界中の人びとと喜びを分かち合えることでしょう。それぞれの立場において、この難局で法灯や伝統を絶やさないために何ができるかを考え、「そのまま救いとる」とはたらいてくださるお念仏の心をいよいよいただき、共々に支え合い、力を合わせるのです。誰もが安心し生活できる社会を取りもどすことが出来るよう、精いっぱいのつとめを果たしてまいりましょう。