盆入り〜仏さまと成り、私にはたらく亡き人〜

今年も盆入りとなりました。早朝より多くの皆様がお参りにみえております。

 さて浄土真宗の教章(私の生きる道)には「念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土にうまれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」と示されています。亡き人は既に阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏と成り、阿弥陀さまと同じさとりを開いたこの上ない仏さまとして私に向かってはたらいてくださっています。そのはたらしきとして私たちが身近に感じることができるのが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

 親鸞聖人は、南無阿弥陀仏の名号は、どこまでも自己中心的な考えから抜け出せず、自らを傷つけ他の人をも傷つけ、悩み苦しみ生きていくしかできない私に「必ず救う、我にまかせよ」という阿弥陀さまからのよび声であると教えてくださっています。今、まさに私の口を通して、私に向かってはたらきかけ続けてくださっている阿弥陀さまのお姿そのものなのです。

 この阿弥陀さまのお姿に、お浄土で仏と成り阿弥陀さまと同じはたらきをしている亡き人のことを想うとき、「お念仏は亡き人からの呼び声でもある」「仏と成った亡き人が私に向かってはたらいている姿そのものでもある」とも味わうことができるのです。そう思いながら阿弥陀さまに手を合わし、声に出してお念仏を申すとき、今までと違う何かを感じることができるはずです。

 大切な人を亡くしてすぐにこのように味わうことは厳しいとは思いますが、お盆や法事などの仏事を大切な仏縁として手を合わせ続け、み教えを聞いていく中で、少しずつでも感じていっていただけたらと思います。

 阿弥陀さまのはたらきの中で、深い悲しみの中にも、大切な亡き人は消えてしまったのではなく仏さまと成って私に常にはたらいてくれている、そしてやがては私も亡き人の待つお浄土へ仏として生まれていくという一筋の光、安心をいただき、お念仏とともにお浄土へと向けた人生を歩み出してまいりましょう。